『日本を甦らせる政治思想』(修正 |
日本を代表するコミュニタリアン菊池先生の一般向けの新書(bk1)。2007年刊。内容的には専門書の易しいver.にあたるようです。 本書の中で筆者が繰り返し主張するのは、「日本ではコミュニタリアニズムは保守的だとか権威主義的だとか言われているけれど、それは誤解である」ということ。「ほんとは平等主義的な中道左派の政治思想で非常に魅力的なんだ」と読者に訴えかけます。 筆者は、これまで論争を繰り広げてきたリベラルとコミュニタリアニズムの間にはあまり差が無くなってきている、と説明します。基本的には現代のリベラリズムはコミュニティの重要性を認めるから、この点ではコミュニタリアン的であるとして、その一方で、コミュニタリアニズムもリベラルの信奉する「自由」の価値を認める。だから、両者は収斂するのだと。むしろ、コミュニタリアンが的にしているのは、ネオ・リベラルやリバタリアン等の強い個人主義で、リベラルとは仲良く出来るとの主張です。 これまで論戦を貼ってきた両者の間に、実は対立軸が無いとすれば、「じゃあ、別にリベラルで良いじゃん」という話になる訳で。そこで、本書の半ば以降はコミュニタリアニズムの旨味を売り込みにかかります。つまり、個人的な善を重視するリベラルよりも、(たとえ達成不可能であっても)「共通善」を求め続けるコミュニタリアニズムの立場の方がより平等主義的で民主的な政治に結びつく。(この点はリベラルvsコミュニタリアン論争の中で昔から議論されてきたものですが、)個人的な善を守るために政策の価値中立性を求める政治はエリート支配とか市場主義を招き易い。一方で、皆にとって望ましい価値観を議論の上で収斂させて行く方が、より平等で徳のある社会、より他者を思いやりより自律的な個人を涵養するのでないかと。 この点は、実は生命倫理の問題ともクロスする問題関心があります。例えば、新優生学と呼ばれる領域の問題。 個人の価値観になるべく立ち入らない立場を採るリベラルな社会では、国家による強制ではない自発的な我が子のエンハンスメントは基本的に是認されます。それが集合的な結果として優良種を選別・育種するという優生学に繋がろうとも、リベラルの内部にはこれを押しとどめる理論が脆弱なのだ、と説明されることがあります(ハーバマスなんかはリベラルの立場から新優生学に否定的ですが)。一方、公共善、共通の価値観を追い求めるコミュニタリアニズムの立場からは、一定の歯止めをかける倫理的命題が選択され、それが規範として機能する可能性は十分にあるのでなかろうかと。 ポイントとしては、コミュニタリアニズムは既存の価値観を絶対視してはいないこと。それはあくまで前提としてある規範なのだから、議論の上に乗り越えることも可能でしょう。 結論として筆者は、小泉政権以来の市場主義がもたらしていると思われる現代日本で多くの人が感じとっている不満を解決するには、コミュニタリアンの提唱する「共通善」という思想が有効なんだと訴えます。新書ということもあって、理論だけでなく具体例にも触れていて読み易いのですが、果たして読者が筆者の思いに共感できるかどうか。 |
by vla_marie
| 2008-10-02 23:09
| 本
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