『自己欺瞞と自己犠牲』 |
分析哲学系の「非合理性」に関する入門書(bk1)。所用で必要になったので読んでいます。2007年刊。 著者のベースはデヴィッドソンの模様。ぇと、大体は理解できていると思うんですが、自信無いですな。デヴィッドソン、まともに読んだことが無いし(爆。 自己欺瞞=自己を欺くということについて、軽く紹介すると。。。 (哲学的記述としては私の要約はマズイ(不正確)と思いますが、)本書の例をもうちょっと噛み砕くと、以下のようなものが想定されています。 「私は、彼女がもう私を愛していない証拠を得てそれが真だとも信じているのに、同時にまだ彼女に愛されていたいと思う。ゆえに彼女の愛が無いことが偽であって欲しい。だから、彼女がまだ私を愛しているように信じる。」 このとき、私はほんとは「彼女がもう愛していない」という真実を知りながら、それに目を向けることは頑に拒むのです。 この「自己欺瞞」のケースでは、一見①相異なる信念(pと信じる/pでないと信じる)が共存していることや、②ほんとのことはわかっているのに(それとは異なる)自分の願望を信念とする過程が、一見”非合理”に見えるのですが、本当にそうなのか?ちゃんと説明可能? 結論から言えば、著者は「高階の自己欺瞞」を導入することでこの問題は解決される(合理的な主体からすれば非合理な行いとして説明可能)と見ています。 うーむ。細かいところは批評する立場にないので…突っ込みどころとしてはコチラの方のブログに見られるような書評を読むなり、分析哲学が御専門の方に伺ってみてください。私に聴かれても、現状では回答不能。 ちなみに、「合理的な主体」をモデルにすること自体を否定することは、分析哲学の方法論上できないので…そこには突っ込んじゃダメです。経済学ではお金の計算ができる人を想定しているわけだし、恋愛心理学なんかでもヘテロ・セクシャルな関係を通常想定しているわけだし。 コノ本、結構易しく書かれているのですが(大学学部生レベルか?)、こういうのを読むと生命倫理学の議論って…包括的過ぎて精緻化されていない印象を受けますね。 歯の治療、残り8本になりました。 反面、額関節症が急速に進行しています(遂に、治療を促されましたよ…)。噛み合わせのバランスが若干変わったせい?欠伸をするだけで痛。 |
by vla_marie
| 2008-05-30 10:36
| 本
|
<< 『ケースブック医療倫理』+その... | 『家族未満』(直 >> |