『家族と法-個人化と多様化の中で』 |
演奏会前なので、弦を交換。発注先で「品切れ」になっていて、手元に届くまで待たされました(汗。 ここのところ、ピッチが定まらず悩んでいたがかなり改善しました! 今回はカプラン・ソリューション+ヘリコアの組み合わせに。高域が太く厚ぼったいバランスになりましたが、まぁソロ弾く用事があるのでこれでええかと。安く済んだし…。 最近出た二宮周平先生の新書を読了(bk1)。 最初に断っておきますが、コレ法学系の学生は読む必要ないです。今までの二宮先生の著作や論文と趣旨は一緒ですし、特別に新しいことを言っている訳でもないので。 それよりは一般の方が、家族に関する法的な問題を考えてみようというときに読むのがお薦めです。コンパクトかつ生殖補助医療など最近の話題もカバーしていますので。 二宮家族法は、基本的には個人主義に裏打ちされていまして、自律した主体である個人(これは、必ずしも「強い個人」ではない)が現実に家族関係を取り結ぶ時、それをサポートするものとして法を観念する学説だ…と私は理解しています。 そのため、事実婚や同性愛者を法的な枠組みでサポートすることに好意的であったり、一方で現行の慰謝料の制度に否定的であったりします。 このあたり、保守的な家族観を持っている方にはなかなか刺激的に響く主張があちこちにあります。 慰謝料に否定的なのは、以下のような考察があるため。 例えばA-B間が婚姻しており、AとCとの間で不倫関係がある場合、もしCが子の認知や養育費の請求をすればBに不貞行為が露見し、A-B間の婚姻関係が破綻する。そのためCは請求を躊躇うケースもある。 配偶者のある男女が慰謝料目当てで他の人と性的関係を持つケースもある。 そもそも不貞行為は当事者の自由な合意に基づいているのであり、誰かに強制された訳ではない。誘惑に負けたものが悪いのであって、当人が貞操義務違反を犯したとして道義的責任を取るべきである(自己責任)。法的責任は認めるべきでない。 一方で、生殖補助医療については、やや慎重論。 これはその技術が、場合によっては第三者の介在を伴い、そこには人体のモノ的利用や商業化の契機があること、また、女性に対する「産め」という社会のバイアス(ジェンダー・バイアス)を温存することなどを鑑みての立場だということです。 故に自分たちの精子・卵・受精卵を使う技術については認めても良いが、第三者が介在する場合は支持しないと。 ただ、法律婚に限らず事実婚にも道を開くべきだとするところは、二宮先生らしい「個人尊重」が一本通った主張に見えます。 文体が口語調なので、教科書的な記述に慣れている私には少し違和感がありますが、この方が一般の方(特に若い高校生など)には読み易いのかもしれません。廉価で手に取り易いので、入門には良いでしょう。 ページ数の問題もあり、カバーしている範囲に対して実例が切り詰められている感は否めませんが、結構新しい事例が採用されているのでその点でも若者向きかもしれません。 |
by vla_marie
| 2007-12-07 07:06
| 本
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