「死後生殖認知訴訟」に初の最高裁判決 |
昨日(4日)最高裁判決が下されました。2審の決定を破棄→結果として「死後生殖による父子関係は認められない」ということになった模様です。 昨日はライブドア事件の堀江被告初公判も重なっていたため、ニュースでは割を食う形で大きく採り上げられませんでしたね…。残念。 とりあえず、5日付けの毎日新聞(記事、判決要旨)、読売新聞(記事、4日付けの朝日新聞(記事)あたりをご覧になれば概要が掴めるかと思います。(最終更新: 6 septembre 2006 ) ちょっと、判決の全文をまだ読んでいないので、軽く雑感など。 (個人的には)現行法上の解釈論としては、最高裁の判断は妥当かな…という感はします(もちろん、生命倫理上は違った判断が下される余地を残しています)。 また、今回の判決は「父子関係を認めて戸籍に記載すること」が争点となっていますので、死後生殖の手技そのものの当否が争われた裁判ではないというコトに注意が必要です(死後生殖の許容性の問題と、子の戸籍記載の問題とは、一応別問題として扱うことが可能であるため)。 特に面白いのは、この判決についての「子の福祉の観点」からの意見。 上述の読売新聞社説のように、「望ましい社会環境に生まれないことは子の不利益だから、本判決は子の福祉にかなっている」と解する立場もあれば、「立法の不備によって父子関係を認めないことこそ、その子が父親を持たないという不利益を被る点で、子の福祉に反する」という主張もあります。 これは、「子供にとって良い」とそれぞれの主張者が思うことを勝手に「子の福祉」の中にカテゴライズしており、何が「子の福祉」かということには共通の見解が無いことを表しているのでしょうか? 「子の福祉」がマジック・ワード化している気がしますね。コレ。 追記: ちなみに、血の繋がりが無いことをもってして親子関係を否定する訴訟では、今年の7月に最高裁で重要判例が出ています(日経新聞)。 親子関係の実態があるにもかかわらず、(遺産問題などが理由で、)親子関係を一方的に解消しようとするのは、(たとえその記載が虚偽の出生届によるものであっても、)子の被る不利益などを鑑みた場合、そうした訴え自体が権利濫用にあたるそうです。 直接関係はないですが、今回の判例と比べてみても面白いかと。 |
by vla_marie
| 2006-09-05 16:41
| なるほど
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