『ロールズ正義論とその周辺』+ほか臓器ネタ |
渡辺先生のご本、2007年刊(bk1)。 内容としては、ロールズ正義論の構想とその美質を、批判者(主だってサンデル)の指摘に対応しつつ明らかにしていくというものです。 同書によれば、分かり合えない他者との共生を強制される政治社会で、「いかにして社会的案定性を確保することが可能か」…ということがロールズの中心的な関心であったとされ、リベラルな正義の原理はそれを可能とするものとして提示されてきたということです。すなわち、【方法論】としての『正義の理論』であると。 筆者の分析では、サンデルはこのロールズの論を誤解・曲解しているとのこと(第2章及び、第5章:p.225)。 1).ロールズの善論について:ロールズの善論には、薄く一般的な善(社会的基本善)と厚く特定の善(各個人の「生い立ち」に依存する偶然的価値・目的)がある。前者は「自我一般を拘束する構成的目的・価値」であり、「正に優位し、自我一般の合理的同期を提供する」。そして、これは「選択の結果ではなく与件として与えられる」。後者は、「自我にとって構成的でも非行性的でも」あり得、「正はこの種の善に優位する」。これは、「選択の結果としても与件としても与えられる」。 サンデルは「ロールズが正はあらゆる善に優位する」と言っているかのような図式を書いた点で誤りを犯している。 2).ロールズの方法論について:サンデルは、ここに存在論的意味を読み込んだ点で誤っている。【方法論】と【存在論】とを混同している。 「クギを打つにあたってハンマーを使おうが岩を使おうがはたまた凍ったジャガイモを使おうがかまわないが、ハンマーを使ったからといってハンマーの【存在論】えお展開しなければならないわけではない。用は、どの方法を採るのがもっとも便利下、というだけのことである。」(p.125) このように筆者の見解では、リベラルーコミュニタリアン論争(主だってロールズとサンデルの論争)は、そもそも噛み合っていないものと評価されています。 さらに、筆者は、「そもそも共和主義、デモクラシー、リベラリズムは、それぞれ異なる問題への解答であると考えること」ができるとし、「第一は何が政治目標か、第二は誰が主権を持つか、第三は個人はどんな権利を有するか」であるとします。そして、共和主義の関心は共通利益ー政治目的に、デモクラシーの関心は主権論に、リベラリズムは「時々の主権が偽りの共通利益を謳うことがないよう、つねに監視するメカニズム」であると見られるので、これら三者が相互に対立することが理解できないと評されます(p.209)。 結論としては、ロールズの主張は政治学的方法論として有効な理論だと評価される…ということですか。 今日の生命倫理学のトピックとして、リベラル優生学の問題がありますが(デザイナー・ベビーとか)、そこでは、このような方法論的リベラルの理論からは強固な禁止論を導出するのは無理なんでないか〜という疑問が呈されたりしています。サンデルとかも発言してますね。 もっとも、リベラル側からもリベラル優生学の問題に応える動きはあるわけですが。例えば、櫻井先生のように、リベラル内部に(限定的ながら)リベラル優生学の禁止の枠組みを見出す戦略とか。 あと、16日のニュースですが、北京市で臓器売買の違法斡旋が発覚、4人逮捕だそうです(47News)。あまり報じられていないようですが…。 同じく16日、日本移植学会が第三者を交えた生体間移植へ制度づくりを開始と(47News)。ふぅむ…。 |
by vla_marie
| 2010-03-22 23:25
| 本
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