『医療倫理の夜明け』+また根津さんとこで代理出産(追記 |
医療倫理の歴史的考察として代表的な1冊(bk1)。原著1991年、邦訳2000年刊。(最終更新:27 aöut 2008) 筆者の見るところでは、医療倫理の転換点は1966年。 それまで、1).大戦以来、公益のために個人の権利が侵害されても良しとする風潮があったこと、2).医師-患者関係と研究者-被験者関係がパラレルに考えられていたこと、3).そのような中で、研究者が成果を強く求められる素地が形成されていたこと…などなどを背景として、専門家が被験者に情報提供も同意を得ることもなく「密室」で行われ続けた人体実験。これがH.ビーチャーの告発で明るみにされ、研究者-被験者の利害の対立という形式で理解されたことにより、まず手続の適正さ(審査体制)が求められるようになり、そして被験者の権利が表に出るようになった…という流れが指摘されています。そして、一方で、同時代の公民権運動の成果もこの"権利"の側面に合流してきたと(p.143)。 多くの教科書でも、医療倫理系列&法的権利系列でICや医療倫理の発達が論じられます。通説的見解かと。 続いて、医療現場での倫理問題が「可視化」するにつれ、経験則に基づいて時に独断であるいは同業者の密約で諸問題が処理されてきたことが明るみになり、生命倫理問題に対する第三者を交えた評価の必要性が説かれるようになったり、原則主義的な動向が立ち現れたり…。おおよそ(細かいところは違うが)、本書ではこのように分析が進みます。 第7章(p.179-)以下では、対立的に描きだされ定置された医師-患者関係がどのように構築されており、影響がどうであったかが考察されます。フェミニスト学者の見解についても触れています。そして、臓器移植(p.207-)、ジョンズ・ホプキンス事件、カレン事件(p.305)などを通じて、「医療倫理問題における決定者は誰か(医師、患者、法律家、神学者、親…)?」という問題が立ち上がり、現在に至ると。 新生児治療停止のプロジェクトをやっているUさんなんかは、第10章(ジョンズ・ホプキンス事件)のところは読んでおく必要がありそうですね。今度あったときに伝えておこう。 この集団決定モデル、委員会モデルに、著者は諸手を上げて賛成している訳ではなく問題点があることを認めます(ex.財政問題の検討が足りない(p.356-))。近年の日本でも委員会方式が普通になりつつありますが…議事録が公開されていても、まず選任の段階が不透明ってのは改善の兆しが無いですねぇ。 P.S.第11章p.336以下のルネ・フォックスによる生命倫理学批判、というか医療社会学と生命倫理学との間に綱引きがあったという記述も、もしかすると重要かも?この時代の論説が意識的か無意識的にか、勢力争いによってモチベートされている部分があるとすれば…ちょっと読み方を変えないと駄目なのか? 特に彼女が、生命倫理学の"個人主義"的価値理念を批判しているという記述はなかなか興味深いですね。『臓器交換社会』は読んだことがあるけれど、確かもう1冊邦訳出ていたよなぁ…。出典の表記が微妙なので、どの論文の記述か分かりにくいのがアレですが…。 うーむ。本書を読むかぎりは60年代当時から既に「利益相反」の問題が意識されてきたようですが、にも拘らず未だにこの問題は上手く解決されていません。流石に同意無き人体実験の類いには強い批判が当たるようになりましたが、しかし、医薬品開発に伴う経済的誘因はここのところ強まっていますし、研究者の競争も拡大しているように思います。利害関係者の具体的利害関係を可視化するシステムは、今後ますます必要になりそうなもんですが…さて? 20日、根津医師が61歳の祖母が母親に代わって代理出産をしたケースを公表したそうです(読売、朝日、毎日)。28日の日本授精着床学会で、実施例を報告するようです。誰か、聴きに行かないかな…。私はこの日はちょっと無理です。 この61歳というのは日本最高齢みたいです。世界最高齢は…ググったら67歳と出ましたが、本当でしょうか? |
by vla_marie
| 2008-08-22 22:08
| 本
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