『人間らしい死と自己決定』 |
本日は勤務日。すごく暑かったです。 なんだか、"Art"とかいうことで勤務先のグラウンド~入り口まで風車が何台も設置されていました。何十台もの風車が風の力で不規則に回る様は、なかなか呪術的なものがありますね。先週は浴衣登校が取材されていましたが(読売(大阪))、今回の方は未だ取材は無いようです。 さて、もう1冊独逸系の生命倫理関連書を眺めてみました(bk1)。第15期ドイツ連邦議会「現代医療の倫理と法」審議会中間報告書「患者による事前指示」(2004年9月13日公表)の邦訳です。ちなみに、連邦議会は翌2005年に解散→選挙→「大連立」発足の運びとなり、この審議会は消滅したので"中間"という名がついていても最終報告書はないのです。その後2007年に、生命倫理政策諮問組織の改編がありましたが、それについては外国の立法にも邦文紹介記事があります。 この邦訳書は山本達先生を中心とした東北大メンバーにより、2006年末に出ました。公文書故改編が許されなかったのでしょうが、やや堅い訳です。ちなみに、最近の動向についてはこちらのブログに紹介がありますが、まだ裏は取ってないのでなんとも…。 報告書は「人間の尊厳」の観点から、最期まで十分なケアが必要であることを置いた上で、治療拒否の権利が患者にあることを認め、制度として治療停止(日本で言うところの消極的安楽死)を容認する見解を示しています。 報告書は、①患者の事前指示書の拘束力を認める。②適応は不治の病に限る。③事前指示書は書面により、署名を必要とする。④事前指示の実現に際しては、法定代理人(世話人or任意代理人)、担当医、監護ケアチームから1名家族(親族)から1名で構成されるカンファレンスでの協議を要し、後見裁判所の関与を予定します。 また、報告書には「法案」も付属してます。 法制化はまだ? 結局、現在既にこの種の治療停止は行なわれているようですが、ホスピスの充実度の違い等から考えても、日本との単純な比較は難しいかもしれません。日本でもホスピスの重要性が指摘され、整備が行われつつありますが…数的に十分でない上に高額なので(70歳以上で44,000円/月、それ未満では自己負担限度額の88,000円/月、食事代別)。例えば、そうしたケアを受けられないなら、いっそのこと「死んだ方がマシ」という決断をする場合、そこに「尊厳」があるのかどうか…。 また、世話人とか後見裁判所を噛ませている点が特徴的なドイツのシステムですが、実は1〜2年前に、日本でも成年後見制度の身上監護につきこれを拡大し、医療行為に関する決定も許してはどうかという報告を私は聴いたことがあります。 (通説は否定的。法制定時の議論でも医療行為は身上監護の内容から外されていたが、その後通達等で一部解釈の変更(?)をするような動きもあって訳がわからない状況になっていたハズですが…統一的な見解は出たの?) そもそも我が国には、安楽死・尊厳死以前に、本人へのICが困難なケースでの一般的な医療上の措置について、どういう枠組みで対応するのかという法的な整備が欠けているor薄いのです(ex.独居痴呆老人の入院のケース等)。もし、仮に独逸型の枠組みを採用するなら、まずそこの検討が必要なのでは?最近、後見人が被後見人の財産を着服したり、遺産を相続できるように操作していたりという事件もあって…。そもそも後見人自体の選任・監督の強化も必要なのかもしれんですね。 報告書は、終末期医療に関する医師の教育カリキュラムにもふれていますが…これも家庭医制度を欠く日本とは結構差が出そうです。同じカリキュラムを使ったとしても、学生がどこまで熱心に受講するか…。 |
by vla_marie
| 2008-07-14 23:56
| 本
|
<< 無戸籍児→住民票記載、早くも2例目 | 佐藤康光はVnが趣味らしい→シ... >> |