『「脳死」と臓器移植』 |
朝から訳文作業…と左胸にチクチク痛みが出て集中できません。 ここのところ完全なオフ無しで動いていたので、疲れだろうと(肋間神経痛?)昼から休養→若干回復しました。この手の症状で病院に行くと、検査が大量だろうからめんどい(ぉぃ。どんだけ体が弱いのかと…。 梅原猛編集の脳死本を読了(bk1)。脳死臓器移植への反対論・慎重論にも色々なものがあるとして、多数の執筆者にその見解を著してもらったという企画の本です。 2000年刊(1992年に出たものの改訂版)で、時期的には実際に脳死移植がスタートし(1999年)、改正論議(臓器移植法の3年の見直し規定による)が起こり始めたころに執筆されたものだと思われます。一部、1992年の初出ものの修正に留まっている論考があり、読み込みには注意が必要です。 本書には、かなりの数の論考が納められていますが、私が関心を持ったのは、以下のもの。 1).渡部論文:死の孕む技術的・倫理的・社会的問題を多岐にわたって挙げ、批判する論文、中でも、臓器移植が人体の資源化のみならず、有用な人間を生かすという優生学とも繋がりかねない点を挙げている(p.66)のがやや珍しい。 2).澤登論文:法律家は社会的コンセンサスの成立している事柄について、立法・解釈を通じてその内容を具体化するところにあるという考えから、脳死問題に積極的に関わる法律家(特に推進派)に疑問を持つとのこと。脳死の2度目の判定までの「一定時間の経過」について疑義を呈したり(p.197)、「脳死臨調」最終報告の真の狙いを「脳死説の公認を妨げている社会的合意論を無効化するため、患者の自己決定権とそれによる死の概念の相対化を主張し、「まだ社会的合意の得られていない」脳の死による人の死の認定を、現時点で実施に移すことを可能にすること」と分析したりしている(p.209)。 3).丸山論文:脳死説について以下の四類型に整理して検討している。a).全体としての生体の機能喪失を死とする見解、b).生命の中枢としての脳の機能喪失を死とする見解、c).医学追認説、d).実際的理由からの脳死説。最期の説が妥当ではないかという見方。 4).光石論文:脳死をめぐる言説に出てくるコトバが、客観的で公共的な議論を歪めるベクトルを帯びていることを指摘するもの。社会的合意など必要でなく、関係者が納得していれば社会が文句を言う筋合いではないとする自己決定テーゼに立つ脳死推進論について、推進論が依拠するJ.S.ミルでさえも社会性を要すると述べると論じていた(p.257)。 文庫とはいえ、内容・ボリューム共にかなりのものです。 多田富雄の脳死をテーマにした能「無名の弁」も収録されていまして(p.413)、これは他にはあまり載ってないのでは? ほぼ専門書の内容ですが、「脳死臨調」最終報告書も資料としてついていて(p.436以下)、初心者にもそこそこ易しい作りかと思います。 月曜夜は、勤務→研究会。とーま氏やN先生といった臨床家の参加で、盛り上がりました。ただ、もうちょっと、手際良く進行できれば良かったかなと。 本日はぶっ倒れていて…気がついたら羽生善治が永世名人になっていました(毎日)。 ええ、両日とも、中継見逃した…わけです。 |
by vla_marie
| 2008-06-17 21:56
| 本
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