『脳死と臓器移植法』 |
ようやく咳が落ちない以外は回復しました。 ここのところ3日程前から、図書館が謎のサーバ・ダウン。致し方ないので、県立図書館でA先生にアドバイスを頂いた案件を調査→だいたい基本的なラインは理解、というようなことをこなしていました。今日も午前中は図書館→昼から移動して合奏練習→家→夜ラボ。移動しまくり。 しかし、何の予告も無く鯖落ちとは…明日から新しく無線LANを入れるとは聴いていますが、何か関係あるのか無いのか(あるなら予告してよ)。いつ復旧するのか全てが謎です(困。 医療ジャーナリストとして非常に有名で、移植法の立法化にも関わってきた中島みちの新書を読了(bk1)。2000年刊。リンク先に書評が2本あります。 最初に、著者は現行法の枠組みを支持する立場にあります。参院での最終修正に大きく関与。その著者が、「脳死を一律に人の死とする」という改正論議が強まる中で、皆に立法当時の状況を理解し問題をよく考えてもらうために執筆したのがこの本、という位置づけでしょう。 脳死が人の死か否かという問題が難解故に、国会会期末で急な修正が為され土壇場で成立した臓器移植法。本法は厳格な手続が課されているため、「移植数が増えない!」と改正を求める声が少なくありません。 脳死とその判定について、そもそも著者は、本人や家族が本来馴染みの無い(密室の)ICUなどで(医学者しか知りえない知見で)医学的・科学的に死(=脳死)が決せられること(見えない死)に危機感を抱いています。だから、死の社会的側面を勘案すれば、本人や家族が充分納得して死を受容するとき(脳死・脳死判定も受容され)臓器の摘出もありうるという点に落ち着くのが良いのだ、法で一律にぶった切るのは反対…と考えます。あくまで、臓器移植のコンテクストでの脳死の話で。筆者自身は、臓器移植に限り脳死を「例外として」死とみなす自論がありました(p.78〜)。そして、法律が厳格である背景には、医療不信があるとのこと。だからこそ、医療の透明性を高めることが必要であるのだと論じます。 ところが、移植法下での第1例で患者のプライバシーの問題が生じて以降、このプライバシーを楯に情報の公開が減失し、透明性が確保されなくなってくることを筆者は危惧しています。それでは、(脳)死の不可視化が(再)懸念されると。また、医療不信の払拭は困難でしょう。さらに、脳死の社会性を語る議論に必要な素材が、充分に提供されないと思われます。 近時の臓器移植法改正のトピックは「移植数増(のためのコントラクト・アウト方式導入)」と「小児臓器移植の許可」ですが、これらはいずれもレシピエント側の利益を鑑みてポイントが設定されています。医療の透明性を高めるような話は…現況それほど大きく報道されていないような気がしますね。残念ながら。 |
by vla_marie
| 2008-05-06 23:54
| なるほど
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