『リベラル優生主義と正義』 |
昨晩以降、ラボが停電だとかで閉め出される朝9時まで粘って資料整理。 シベリウス全集をループで掛けながら朝日を迎えてみたり(ぉぃ。 帰宅すると大量の苺が実家より届きました。 只今冷蔵庫を占拠中。 演奏仲間のTさんに連絡を取ってレシピを貰ったものの…さてさて、どうするか。 それから、お世話になっている先生から以前紹介された本を読み直し(bk1)。 かなり面白いので、サクサク読めます。 ゴールトン、ホールデン、マラーといった(古典的)優生主義者たちの内部には、国家・政府による介入を是とするか否とするかなどの点で差異はありました。 ただし、「現況、ダーヴィニズム的な自然淘汰が人間社会の中で起こっておらず、それに危惧を持っていること」や「還元主義的な生物学的人間像の描き方を共有していること」に共通点があるそうで。ここのところは、ブキャナンやシルヴァーらリベラル優勢主義者たちも受け継いでいるようです。 過去の優生学とリベラル優生主義とが根本的に異なるのは、その実施主体が国家ではなく個人(私人)にあるという点に尽きるでしょう。 現代のリベラリズムは、個人の善き生の追求への国家の不介入を原則とします。こうしたリベラルな価値観の下では、私人が行う優勢主義的行動(ex.出生前診断、生殖細胞系列への遺伝子操作)を規制する原理を見出すのは困難と言われて来ました。 筆者が本書で検討しているリベラルな哲学者は、ドゥオーキン,ロールズ、ノージックといった大御所(p.123〜)。 しかし、筆者の見るところ、リベラル優生主義は、彼らが依って立つところのリベラルな価値観の内部に倫理的(道徳的)制約を抱えているとのこと(p.220〜)。ここで援用されているリベラルな伝統的テーゼは「危害原理」。さらに、未来世代への(世代間の)倫理というものも援用して論考を練り上げています(ex.ファインバーグ)。 ここでリベラルな価値観は、親が技術の利用を正当化することを肯定する一方で、他方ではそれ故に未来の子供への介入の規制原理となると。 1).子供の精神・肉体に直接の危害・苦痛を与えるおそれの強い遺伝子介入→禁止。 2).子供が自分のライフ・プランや価値観を選択する自由を侵害するような遺伝子介入(ex.競馬選手用の極端に小さい体など)→禁止。 特に、遺伝子改良を「肉体的改良」、「知的改良」、「道徳的改良」に三分類した場合、犯罪的傾向を取り除くために為されるような「道徳的改良」は許容できない。なぜなら、「批判的精神を持って一定の政治的信念を選択・追求する自由」というリベラル・デモクラシーの過程の基礎を浸食するおそれがある。 このように、近代リベラリズムの中でも、一定の倫理的制約、一定の(公的)介入許容性、そして私的幸福追求の出来る空間がそれぞれあることが示されます。 |
by vla_marie
| 2008-01-14 22:02
| 本
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