『フランス科学認識論の系譜』 |
正月早々からこんなオカタイ本(bk1)を読むこともない…と思われるかもしれませんが、大晦日を研究室で迎えたこともある私にとってはまだまだ許容範囲に感じます(ぉ。 1994年に出版され、「渋沢・クローデル賞受賞」を受賞した名著。 著者の金森修先生は、我が国におけるエピステモロジー(科学認識論)の第一人者。 英米系の科学哲学とは違った、フランス独特の(科学哲学と科学史との融合領域である)エピステモロジーの問題意識や特徴などを、簡潔に解きほぐしてくれる小論が10編収録。 この中には結構身近なことに応用可能な議論があるので、(私のような素人でも)興味を惹かれます。とは言え、あっちの文献を読んでいると結構カンギレムに言及する論考が多いので、私はカンギレム(1904-1995)の入門用に読み始めた訳ですが。 例えば、第二章での「生命論的技術論」。カンギレムの技術と生命をめぐる理論を、本書は以下のように整理しています。 1).「技術」と「認識」との関係→「認識」は常に「技術」に先立つ訳ではない。むしろ、「理論が成立する契機は、技術的営為が現実との間に齟齬を来した瞬間に限ら」れる(p.39)。この、創作活動における試行錯誤の中で理論が登場する(技術が科学を胚胎する)。「技術」は「認識」や「理論」に先立つ。 例えば、セメントが固まる原理は長年わからなかったけど、利用し続けて来た訳で。解明されたのはここ10 〜20年くらい? 2).「技術」と「創造」との関係→「創造」は人が環境(状況)に抵抗態を見出したときに行われる。作品の制作は、先立って明確な「構想」を持って為されるのではない。創作過程における「流動的な構想と、物との不断の対話からうまれた可塑的な錬磨」(p.41)が作品である。 作曲だってセッションを重ねる度に変わってくる…という例が適切か?絵画を描く際に絵の具の色を全て先に決めてかかる訳ではない、という例は第3章にあった。 3).「技術」と「技術者」の関係→技術者は完全な認識を持って制作にあたる訳ではなく、創造には「見切り発車」な営為の側面がある。よって、(産み出された)卓越した創造物によって、反照される形で技術者の卓越性が表れる。 過度に単純化すれば、凄い人だから良いものを作れる訳でなく、良いものを作るから凄い人なんだ。技術が技術者に先立って評価を受ける、ってことか。技術自体の有意性?優位性? 4).「技術」と「生命」との関係→人間が世界における「居心地の悪さ」を克服しようとする生命固有の「欲求」が、技術的制作活動の基にある。生命に固有の欲求は身体機能に肉化されており、技術はその延長として創造される(ex.歯→刃)。故に、身体/機械の境界には混淆領域があるし、認識より技術制作が先立つのは「生命的な本性に基づく必然的な結果」(p.46)である。 このあたり、近年の人間改造とか遺伝子操作とか…そういう話に絡んできますね。 著者の整理は(当然、議論に従って組み立てられているわけですが)見通しが良く、門外漢の私にも理解し易い記述になっています。 個人的に馴染みのある現象学なんかとは全然違う(というか逆転した)考え方ですが、かなり魅力を感じます。 他には、同じくカンギレムのアラン論を手がかりにした美的創造に関する論考、フーコーの「司法精神医学における〈危険人物〉という概念の進展」を手がかりにした「危険人物と社会統制」という論考もかなり整理が行き届いていて、楽しめたし勉強になりました。 |
by vla_marie
| 2008-01-01 20:41
| 本
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