『「尊厳死」に尊厳はあるか-ある呼吸器外し事件から』 |
本書で言うところの「ある呼吸器外し事件」というのは、昨年発覚した射水市民病院事件のこと(bk1)。 この事件以降、「延命治療の停止」について学会・厚労省が指針を示したり、この問題についての報道が積極的になされて、国民的議論が高まっていることは周知の通りです(最近また冷めてきている?)。 本書は事件で問題とされた医師が行った7件の呼吸器外し事件についてのルポであり、タイトルにもあるように、一般的に流布されている「尊厳死」と実際に現場で行われたことの乖離を突くものです。 「尊厳死」と「安楽死」との違いについては、一応「尊厳死」には患者本人のQOLの観点が盛られていることは諸説ある中でも共通見解としてあると思われます。 本書の記述を信用するとすれば、問題になった医師というのは一般的なマスコミ報道で語られているような人物とは少し、いや、かなり違うようです。 患者のために尊厳死を行ってあげた「悲劇の医師」、ではない様子。 それより、昔はよく居た医療パターナリズムを良しとするタイプの方で、現代的感覚からは相当遠い方のようです。 そんなこともあって、問題の医師の言うところの「尊厳死」というのは、社会一般の「尊厳」のイメージとかなりズレがあるようですし、問題の呼吸器外しも必ずしも患者のQOLを優先させたわけではなく、独善と評されても仕方のないようなものだった…のかもしれません。 読了して、「尊厳死」という語にはやっぱり奇麗で崇高なイメージが漂いますが、実際の現場で奇麗な終末期がそうそういつもあるわけでなく、この問題を考えるときに、末期の現場から遠い方ほど(実際に呼吸器外しを行ったことの無い医師もいるでしょうし…)想像力を働かせる必要があることを再認識した次第です。 また、ことさら「尊厳」を語る言葉の裏には、生者側からの「終わりにしたい」心境があることについて、触れられている点が印象的でした。 まぁ考えてみれば、昨今話題の終末期医療の法制化も、結局生者側の都合(家族の心理的・経済的負担、医療者の負担・免責要求)という面が無いわけではないのですが。著者は救急医学会が指針(執筆段階では指針案)を出したことに対して、現場の負担の軽減と訴訟防衛意識が働いた結果、命の線引きのハードルを下げたのでは…と懸念を示しています。 この事件についてのエピソードはかなり豊富で(ex.職場復帰署名運動への尊厳死協会員の関与、問題医師のマスコミ対応(利用?)など)、今、法制化が叫ばれていることの『裏』(しかし、それが本当のことかも)を伺うのに参考になる読み物でしょう。 |
by vla_marie
| 2007-11-22 06:59
| 本
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