『透明な卵』 |
週末は東京から294くんが生還したので、皆で集まりました。東京でも(相変わらず)優男ぶりを発揮しているようで何よりです(ぉ。 尚、そこで一番ショックだった話題は、後輩のおにゃのこが某激安アウトレット店で服を買っている件で、結構男の子「ぇー!」ってなってました。みんな♀に幻想持ち過ぎなのかもしれんけど。。。 さて、フランス初の体外受精児を手がけたジャック・テスタールの著作(bk1)。 邦訳が出ていたのを(今更)みつけて購入しました。 原著は1986年、訳出されたのが2005年なので、技術的な説明の部分などはそれ相応に古めかしい部分があります。ただ、彼が当時の状況を内側から語ってくれるところ、そのマスメディアや世間の見方と内部の感覚とのズレが、なかなか興味深い読み物でした。 大まかに言って、「研究者なんて聖人君主でも公明正大な人間でもない訳で、社会の監視無しには何をしでかすか分からない…」という俗人的な科学者観をベースに、補助生殖医療が人間自身を改編する強力なツールになり得ることを鑑みて、ウィットの効いた文章で人々に警告を発する…という内容でした。 とりわけ当該技術の優生学的な利用(着床前診断やデザイナー・ベビーなど)について、懸念がある様子。もっといえば、今日「リベラル優生学」と呼ばれている問題に対しての危惧が大きいようです。 これはつまり、個人個人が自分の子のためによかれとして為した遺伝子改造や着床前診断の結果、総体として人類全体で優生学を為すことになる問題として、単純化できると思います。 (例えば、従前の優生学みたいに国が人間の育種をするのは問題だけど、私人が個人利用する分には良いじゃないか?自分の子どもに病気のリスクのある遺伝子をわざわざ残そうと思うやつが居るのか?どこにその技術の実施を禁止する論理があるんだ?といった問題を考えてみれば…) この議論は最近割と盛り上がっているところなんですが、1986年の時点でここまで見越していたとは、流石第一人者は違いますね。 ここで、正常な生殖の「補助」として補助生殖医療を使うことに、テスタールは反対していません。もちろん、何が「正常」かは難しい問題なのだけど。。。 テスタールが本書で懸念を表明している技術のいくつかは、2007年現在でも倫理的論争を巻き起こしていたり、はたまた実施に移っていたりする訳ですが…、世の中の流れ的に、着床前診断なんかは、今後緩やかに対象を拡大して行きそうな気がしなくも無いですね。 ほんと、知らず知らずのうちに個々人は、総体としての人類を改変ないしは規格化していくのかもしれません。 もっとも、そんなに世代交代が進むまで僕は生きていられないけれど。 |
by vla_marie
| 2007-10-08 19:58
| 本
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