『環境問題はなぜウソがまかり通るのか1&2』 |
一部で超話題の本ですが、1&2巻まとめ買いして読みました(日経の解説)。 書店では平積みで、隣に『不都合な真実』も置かれていましたよ。何と言う抱き合わせ販売(鬱。こっちは映画版と内容がだいたい一緒だと確認したので→買いませんでしたが(むしろ、古本を買えばすばらしいリサイクルだろう)。 しかし、『環境問題がなぜ〜』のシリーズは、環境問題そのものを否定する訳ではないので、別に対立的に読む必要は無いように思います)。 手っ取り早く内容を知りたい方は、こちらの朝日放送の動画でもどうぞ(ニコニコ動画)。 なんか、もうあっちこっちで紹介されていて今更なので(ググルとめちゃくちゃ出てきます)、感想メインで。 別に著者の武田邦彦センセは環境問題が重要じゃないと言っている訳じゃなくて、現況の方法では「却って環境負荷が多くなる」ことを問題にされている訳です。 なんでまたそんなことになるのかと言えば、簡単に言えば「環境」が利権化・政治化して研究者の発言も研究費の配分でコントロールされているから…と、そういうことのようです。 環境は経済と両立しうるという発言で有名なもので、フランツ・アルト『エコロジーだけが経済を救う』(bk1)という本があります。環境がゼニになるシステムが出来れば→エコと経済は両立しうるということですね。 でも、武田氏は必ずしもそうは思っていないようです。 色々書いてあるのですが簡単に言えば、エネルギー全体のパイの切り分け方を変えたところでしょうがないという立場のようです(エコで浮いた金で何らかの商品を買えば、その商品の生産過程で結局エネルギーが使われる)。 だから、経済活動(エネルギー消費)自体を小さくしないと無理(ましてや市場ではなく官製の「利権」絡みの構造ではなおさら)だと。 じゃあ、どうすればいいんよってところで、かなり極論が出てくるのでアレなのですが(ex.14インチ以上のテレビや2,000cc以上の車に高課税しろとかとか。ペットボトルのリユースなど現実的なものもあるのですが)…「環境」問題を疑うこと自体を挑戦的に試みたのは、この御時世に意味があったんだと思います。 個人的にも「環境」問題がファッション・宗教化していることに対して違和感を覚えていましたので。 科学(実体は不確かなものなのに)の名の下に、特定のイデオロギーが支配するのは、本当の問題に対する視野を狭くするし、体制に従わないものを排除する…ということは過去ありましたし(ex.旧ソのルイセンコとか)、「環境」がそうだと言われれば一部そういう点もあるのかもしれません。 ハーバマスの『イデオロギーとしての技術と科学』(bk1)を思いだします…。 ただ、ゴア氏にしても武田氏にしても「科学」を掲げて自己の主張を展開している構造自体は同じではあるのですがね。 専門外なので良くわからないのですが、心理的には学生運動に参加した学生とか一時期の新興宗教ブームに走った若者に似ているようなトコが若干あるように思うのですよ。>市民のエコ活動参加。 集団的な連帯感に包まれたいとか、世界を変える運動に参加してそれをアイデンティティの支えの一つにしたいとか…、そういう印象を受けます。また、大衆心理を見事にマーケティズムに利用されている感もあります。バレンタイン・デーのごとく(ぉ。 いやー、しかしペットボトルのリサイクル率の低さには吃驚しましたねぇ。 「悪い」ということは知っていたけれど、まさかこれほどまでとは…。このデータ自体も疑いたくなるほど(何。 徹夜明けで長時間運転してお仕事に行ったので、かなりキツいです。 郵政民営化も本格スタートを切りましたし、色々面白そうなニュースをやっているんですが…途中で眠ってしまいそう。 |
by vla_marie
| 2007-10-01 23:39
| 本
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