de Castroの臓器公買容認論って… |
実家に帰っていました。 祖母が手術を終えたと思っていたので。 でも、実際は手術が終わってなかったのですよ。 なんでも執刀医が「私用で休みとりたいんで勘弁してください。」とドタキャン→1月ほど手術が伸びたようです。私用て…。 実家にて、臓器公売制で有名なde Castro氏の主要論文の1つを読んでみたものの(JME)、功利主義的色彩にドキドキです。 主張は明快で、「臓器がいかに(金に換えられない)価値があるとか神聖さを持っているとしても、臓器提供に金銭的補償をつけることを正当化することはできるんだよ。」ってことです。 これにつき、例えば、こんな説明をCastro氏はするわけです。 カント主義者は、「ヒト存在=尊厳がある。臓器は、ヒト存在の統合性・一体性を成すものだから、臓器を切り売りすることはヒトそのものの尊厳を損ねる。」なんて言う。 でも、そのこと自体は、補償(金)を払うことの適否とは直接関係ないし、そもそも経験的には多くの人々は「臓器には臓器固有の価値や尊厳がある」と考えているかも→そうであれば、臓器を売買してもヒトそのものの尊厳は傷つかないでしょ?(ex.殉死した兵士の家族にゼニを出したからといって、兵士の英雄性は傷つかないでしょ) なるほど。 ただ、ここではCastro氏はこんな理解を背景にお話を進めています。 「ヒト存在=臓器の統合性・一体性」をカント主義者は前提としているんだけど、そりゃドグマじゃないのか?→嘘だろっ、実際には臓器は切り分けられて個別に価値判断可能でしょ。 これは…どうなんだろう。 ヒトと臓器が一体だとかどうだとかいう話が厳然たる事実かって言えば疑わしい(真偽値のある話じゃないでしょ)、「一体説」を採ろうが「分離説」を採ろうがそりゃ価値レヴェルでの話じゃないのかね?とか批判がいくらでも来そうな論法です。 以下、「金銭取引って、”売買”だけに限らないし、外形だけ見て当該行為の性格(搾取にあたるかどうかとか)はわかんなんでしょ。」とか、「つか、事実上、もう”商品”として取引されているよ→ブラック・マーケットを無くすにも合法化した方が良いんでは?」とか…主張の補足が続きます。 ちなみに、彼の主張については「貧乏人→金持ちに臓器が移ることはあっても、金持ち→貧乏人はありえんで?それでいいのか?」という突っ込みがしばしばあるようです。 主張としてなかなか刺激的ですが、地味に引用文献の少なさにも驚かされました(ぉぃ。 |
by vla_marie
| 2007-08-15 23:14
| なるほど
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