旧共産圏と日本の家庭問題〜雑感 |
昨日は仏語レッスン→研究会でしたが、前者が結構大変。 先生:「今日は遅刻ね!何してたの?」 私:「ごめんなさい、論文を読んでいたら…。」 先生:「何のテーマについて?」 私:「臓器移植についてです。生体ドナーを広く解放するか、あるいは傷つきやすい立場の人を保護することを優先するのか、という問題です。」 先生:「傷つきやすい(vulnérable)人々ですって?そういう人は日本には多いの?」 と、いう流れで情報交換&議論がスタート(最初は仏語でしたが、途中から入り組んできたので英仏チャンポンに(ぉ)。 そもそも読んでいるのが臓器移植に関する論文なので、ここで言っている「傷つきやすい人」とは、例えばUNESCOの宣言などで出てくるような広い意味ではないと思うのですよね。 広義では、人種・性別・経済・宗教…などなどの色々な切り口からvulnérable(傷つきやすい)と言うのでしょう。だけど、特に臓器移植の場で問題になっているのは、第1に経済的(ex.金持ちが貧者から臓器を買う)、第2に社会的なもの(ex.親族からの生体ドナーの強要など)かと。 「日本にも「傷つきやすさ(vulnérablité)」が問題となる事例はあるの?」と聞かれたので、「日本では諸外国に比べればそれ程でも無いと思います。何故なら、経済的な格差はフィリピン程ではないから。親族間生体移植において「強要」の問題はあるのだろうけど、確かなことはよくわかりませんね。最近のトピックは、国際的な対価を伴う臓器移植が明らかになってきたことです。」と適当に受け答え。 実際には、日本国内での臓器売買の事件もあるが(宇和島のケース)、それは当事者間の同意に基づいておりvulnérableな問題ではないでしょう?親族間の生体ドナーの事例での「強要」は、論文で個別事例は良く見かけるのだけど、疫学的に優位な調査があるかどうか(そもそも調査できるのか…)。 ところが、「傷つきやすい」(vulunérable)人のことについて、「それは重要なんだ!」といつになく強い反論が…。以下別の話題になります。 どうも先生は、「傷つきやすさ」の問題についてドメスティック・バイオレンスや児童虐待のケースを想定していたようで、そこに齟齬が在った訳です。 要約すると、共産主義の時代には、離婚そのものは手続が大変だけれど、離婚してしまえば母子家庭に公営住宅が提供された。また、女性も働くことが求められたので、畢竟経済的には自立した環境にあった。だから、DVなどの問題があればすぐに別居できた。 だけど、民主化してからは、離婚そのものは簡単になったのだが、離婚後の公的ケアが不十分。また、経済的に男性に依存する女性が増え、そのためにDVがあっても夫から離れられない女性が増えている。旧共産圏ではこの問題は増加しつつある。共産主義時代の方がマシだった。児童虐待も同じ理由から増加しているという主張です。 曰く、「資本主義化が家庭の問題を拡大させたのだから、日本ではもっと問題があるはずでしょ!」というわけです。確かに、日本でも最近DVの問題は顕在化しつつありますね。 面白いのはここからで、先生の主張する家庭問題の解決策。 ①女性の経済的自立 ②親への道徳教育 いずれも、日本でなされている議論と寸分違わず。特に②は日本固有の話題かと思っていたら…違うようです。 解決策①については、「なんで、日本の女性は家庭に入ったら働かないの?」という疑問があるようです。理由は、色々あると思うのですが、先生が一番納得した回答が…。 制度上共働きの方が税金を多く払うことになるから。という理由(笑。 解決策②については、私の方が「日本でも『親に対する教育』の必要性は言われているが、批判も多いんです。それは、リベラルな社会では国家が国民に特定の道徳を強制してはならないと考えられているから。」と説明したところ、納得できないと言われました。 細分化すると、教育内容についての問題(道徳強制になるような内容を含むか?)と、実施に関する問題(対象はどうなるのか?教育を受けることを強制できるか?)とは、区分けできる問題ですし、議論する点は多いのですが時間が無かったのであまり深い議論になりませんでした。 とはいえ、親の教育問題がこんなところで聞けるとは思いませんでしたよ。グローバルな話題なのですな。 |
by vla_marie
| 2007-06-17 18:08
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