『ジョニーは戦場へ行った』 |
昨晩はヴィオラのトレーナーさんの歓迎会でした。 自分も風邪が良くなったり悪くなったりを繰り返しているのですが、楽団員間にも風邪が蔓延しているようですね。楽しい食事会だったのに、面子に穴が空いていたのが残念でした。 さて、先月の学会で「映画に見る尊厳死」を扱った報告があったのですが、そこで紹介されていた作品を見てみようかと思って帰りに見繕ってきました。 まず、最初に『ジョニーは戦場へ行った』から見てみようかと。反戦映画の代表作とか、メタリカの某曲のモチーフとなったとか…既に様々な評価が為されている作品ですね。 あらすじは、あちこちのサイトに転がっていますが(goo映画)、要するに、戦場に行って延髄と性器以外に損傷を受け、四肢を失って生きる肉塊となった青年が過去を回想したりするうちに、戦争へ行かせた国家(国策?)に怒り、最後には自分を殺してくれるように周囲にお願いするってお話です。 監督がハナから反戦映画として描こうとしていたこともあるので(監督のトランボは戦時中ハリウッドの赤狩りにあったことがあるし…)、 ところどころ話の流れに不自然なところがあったり過剰な表現があるのが気になりますが、映画を効果的にみせるのにプラス…だったんでしょうね。当時のことは知りませんが。 元々米国の生命倫理学はベトナム戦争での惨禍などをも背景にしていたこともあり、広い意味で捉えれば平和とか反戦も生命倫理の範疇という主張もあります。そういう見方からすれば、本作は生命倫理学のテーマを扱っている…と言えましょう。一方で、より限定した見方で所謂medical ethicsの領域での生命倫理を想定したとしても、所謂安楽死・尊厳死(あるいは自殺幇助)の文脈でこの映画を見ることはできます。そうした場合、これは自発的に自殺幇助を求めるケースなのでしょうか?(延命治療の停止にあたるかどうかは…ちょっと判別が付きませんが…。)うぅむ、このケースだと、安楽死(ないしは尊厳死)を求める真摯な訴えが患者本人にあったとしても、なかなかそれを確認するのは困難そうですね(そもそも自身の状態を「正確」に把握することも困難)。 そういえば、昨年ALSの患者の呼吸器の装用を患者本人の意思で拒否できるかどうかが厚労省の方で審議されていたのを思い出しましたが、あれは延命治療の拒否のケースか…。 P.S. 先ほど伊東豊雄がTVに出てましたが、相変わらず曲線好きですね。台北のメトロポリタン・オペラハウスって、いつ完成なのでしょうか。面白そうですが、音響は? オペラシティでイベントをやっているようです(リンク)。 |
by vla_marie
| 2006-12-03 09:03
| CD,DVD
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