阪大でコロッキウム |
実は大阪にいます。 先生に誘われて生命倫理コロッキウムに参加してきました。普通の学会と違って、報告者に与えられた時間も討議・質問の時間も相当長く好印象でした。 また、参加する事があれば積極的に質問できるように自分を鍛えておく必要があると感じました。 写真は阪大オケの練習場です。広いです。1Fのこの部屋の他にも練習するところがあるようです。羨ましいですね。 「実は大学でオケやってました!」という話を、練習場の前に居たトロンボーンの子に話したら、「どうぞ、中を見ていってください。」と言われましたが…。時間が無かったので断念…。 なにせもうギリギリに参加を決めたのでホテルの予約とかなんとか大阪入りの前日が激しく雑用だらけでしたが、チサンホテルが格安でとれたので助かりました。 思ったより清潔でした。風呂は狭かったですが、気にしない方向で。 タクシーの中などで色々討議をしたりアイデアを出したりしました。アイデア(試論)については次のエントリーで書きます。 その中で、生命倫理教育のための教科書作りとか、壮大な計画がぶち上がったり(スライドを連動させるという代物になる?)もしました。 というのも、もともと他分野からいろんな専門家が集まっているのが生命倫理学の強みでもある訳ですが、反面統一した見解を出すのが難しかったりもして、共著の教科書などでは芯の通ったものが少ない…ように思います。一方で専門書を使うとすれば…、なかなか教育する側には大変ですし、初学者には理解するのがキツイでしょう。 また、公共性などの議論に絡めて生命科学技術の民主的コントロールとかいう議論もあるのですが、実際は官僚や研究者主導で様々な法律・規則が制定されていますし、さらに、これを批判的に検討するだけの知識を一般市民の多くが持ち合わせているとは…とても思えません。 例えば、代理母問題に関して、「日本では禁止されている!合法にしてくれ!」という主張を書く方もまま学生や一般市民には居られるようですが、法的には禁止されていない(学会の会告があるのみ)というのが実情ですよね。以外に知らない方がまだまだ多いような気がします。 こうした意味で、最近議論されている司法制度改革と法教育の議論状況に被る部分もあるかと思いますが、生命倫理学も大学の教養の講義として必要でしょうし、高校の倫理でも多少はやった方が良いような気がします。 そのために、生命倫理領域の議論状況や様々な事件をできる限り客観的に記述した良い教科書があったら楽だよねって話が出たりしました。実現するのかな…。したら面白いでしょうねぇ。 歴史教育の話になりますが、無抵抗のチベット亡命者を後ろから銃殺したネット画像を見た友人の奥さんが「チベットの人はおかしいから…」とコメントを出されていたのが印象深いです。法教育も生命倫理教育も歴史教育も、自分で批判的に検討する力と知識を養うカリキュラムが必要のように思います。 |
by vla_marie
| 2006-10-27 19:55
| なるほど
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