向井亜紀『会いたかった』 |
雑用→仏語レッスン→雑用→図書館…という一日ででした。ふぅ。 写真はイベント会場の下見で撮りました。機材の一部。もうね、私にはどうなっているのか分からないのデスよ。カドっこのところで人が殺せそうな分厚い仕様書が2冊ありましたが、電気電子の教科書で見るようなアレが満載で…私には良くわかりません! あっちこっちへ自転車で移動したため疲れていたのか、どうやら転寝をしていたようです。貴重な時間が1〜2時間ワープしています(ぇ。 いやぁ、「時間泥棒」とか「UFOに拉致」でなければ良いのですがね!>失われた時間 売り出されていた時に、「買っておこう」と思っていたのに、そのまま買いそびれていた向井亜紀の著作を購入セリ、向井亜紀『会いたかった 代理出産という選択』(幻冬社、2004)。 なんと、古本屋で100円以下で売っていました。 ほっとくと”積ん読”になりそうだったし、話題がHOTなうちに読んでしまおうと携帯して、アレコレの待ち時間に読んでしまいました。 ぇーと、あんまりメモすべき内容がありません。 同じような境遇に居られる方は感情移入して面白く読み薦められると思います。しかし、何かしらの代理母訴訟に係る客観的情報をこの本から得ようとしてもあまり得ることは少ないような気がします(既にアチコチで報道済みのものが多いので)。 とはいえ、ともすれば法文の解釈に終始して生の当事者の存在を捨象しがちな法学系の人間(私も含む)にとっては、プロパガンダ色があろうと無かろうと、こういった当事者の生の声が聞けるエッセイに目を通して感性に風を入れることも"たまには"必要な気もします。 養子縁組も考慮していたことや、第三者の卵を使うことはなるべく避けたかっただとか、治療がうまくいかなくて何度もへこんだこと等…軽いタッチで綴られている文章を読んでいくと…、結局、①(養子だろうが代理母だろうが)どんな形であれ子供は迎えるつもりであったということ、②自己の卵を用いた代理出産に固執したのは、子供に出生と親子関係の事実について十分な説明ができないと思ったからということ、③事実上の親子としての生活に手出しはできないのだから、究極的には戸籍記載にはこだわらないの3点が読み取れるような気がしました。 ②と③については、「子供に納得できる形で説明できる回答を用意できるなら、最高裁が親子関係を認めなくてもかまわない。」との趣旨のコメントを高田(夫)がしていたのを朝日新聞で読みましたし、おそらくそうなのでしょうね。 コレ、法哲学などの言葉で言うなれば、「規範起業家」と見て良い?>高田夫妻 尚、amazonのレヴューでは、「自己中心的で吐き気がする」との記述も見られますが、主観的かつ(結局)美談になっているのは本の性質上仕方の無いところでしょうね。。。 そういや、高田夫妻の依頼した代理母の方、収縮抑制剤に含まれていたマグネシウムが原因で体調を崩したって書いてありましたが、マグネシウムって体に合わない方多いのですかね? 私も某有名メーカーのマグネシウムをサプリメントとして採った時に、直ぐ調子を崩したのですが…。 |
by vla_marie
| 2006-10-25 23:55
| 本
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