人気ブログランキング | 話題のタグを見る
excitemusic

くわぁんりんの日記
by vla_marie
ICELANDia
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
りんく
marioの部屋
後輩のブログです。可愛らしいです。北朝鮮(ry
のうてんきな舞々の毎日
後輩で、あのY氏の上司のブログ。就職オメ☆(祝
T957 CRAZY
私は魔法使いですが、彼女はイリュージョニストだそうです。
penepene nikki
ついに、学校の先生に!
飛び出し禁止
セレブOLの後輩です。飲酒→終電逃す→満喫のコンボが溜りません!
MY SYMPHONY
後輩のドラえもんマニヤのサイトです。
animate*life
後輩のVn使いのnixie君のブログです。
拜金女郎
大学時代の友人の奥様のブログです。
よいこのにつきちやうFC2
FC2にも進出。
最新のトラックバック
検索
タグ
その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


米本昌平『バイオポリティクス-人体を管理するということはどういうことか』

 米本昌平『バイオポリティクス』(中公新書、2006年)、これは夏休み中に読んだ本ですね。


 本書の中で用いられる「バイオポリティクス」の語は、フーコーの「生-権力」(bio- pouvoir)の問題意識に端を発するものである。
 そこで主題とされたのは、人口政策と公衆衛生上というプライベートに関する問題であった。
 20世紀後半に勃興した「バイオエシックス」はいわば「拡張された医者-患者関係の倫理学」であり、先端技術を医者-患者関係の間でどう決定するかのものであった。ここでの「バイオエシックス」は、IC理論に代表されるようにプライバシーとか自己決定論を基軸としており、フーコー的近現代の「バイオポリティクス」に対しての一応の応答足り得た。
 しかし、ゲノム時代の今日では、科学技術の研究・応用の対象は身体というまとまりのあるののみならずゲノムという抽象的な人体的自然を対象とする。この状況に対応するには、「個」に立脚する「バイオエシックス」のみでは足りない。むしろ、環境問題を政治的に解決するように、人体やゲノムという「内なる自然」に対しても政治的過程を通じた議論が有効なのではないか(これはもちろん民主的なものである)、という主張が本書の核であろう。




 以下、自己決定を主軸とするアメリカ型と、公共的決定(選択)を主軸とするEU圏(特にフランス)との「バイオポリティクス」の対比を、ヒトゲノム解読やヒト胚研究、人体商品化の事例を踏まえながら描き出す章が続く。そこでは、先端生命科学技術の3強(米欧日)の一角である日本が、本来備えなければならない法律がいかに欠けているかということが明らかにされる。

 第6章では、欧州がこうした問題に対して社会的に統制をかけていく秩序形成の歩みが(主としてフランスの立法政策を中心に)描かれており、これに対応する形で終章では健全な先端技術の社会的秩序形成に向けた取り組みとして必要な点を列挙されている。
 列挙された点については、私も首肯する部分が多いが、面白かったのはその後。

 なぜ、このような「法の不備がそのままにされるのか?」という点に関して、米本氏は「構造化されたパターナリズム」を指摘されている。
 まず第一に、日本の霞ヶ関省庁は基本的に自省の権益にならないことはしたがらない。予算の増加が望めない昨今では、法案通すことが省庁内での政策官僚の評価に繋がる側面があり、そのため(法律の数を増やすために)、細切れな法律ばかり作りたがる傾向にある。ここでは、省庁横断的な法律の策定は望むべくも無い。
 一方で、こうした事態に対して批判の旗手となるべきアカデミズムは、「政治的なもの=汚いもの」とみなし、原理論ほど高級で応用は二流という立場であった。特に日本の生命倫理学者は、国に研究費を要請はするが具体的な法提案などは行わない、という点が批判に挙っていた。

 自分の周りには、原理論をことさらに称揚するような学者はいないので何とも言えないのだけど、官僚機構の問題については前々から指摘されているのにも関わらず、未だに解決の道が見えない。この官僚機構の改革についてどのような議論があるのか…個人的には興味があるのだけど、この点については具体的な解決案は示されていなかった。


 この本、既に米本氏の著書や、氏が所長を務める科学技術文明研究所の報告書を読まれるような方には既知の内容が多いが、初学者にはインパクトのあるものであろう。
 論理が明確な点、また、情報が非常に新しい点からも、お薦めできる一冊。

 尚、付言するならば、196頁あたりの中国の臓器移植に関わる状況については、本年「臓器移植法」が成立したことで変容を見せている(臓器の国家管理・支配が追認される形になったのではないか…という指摘がある)。
 もう一つ言えば、米本氏の語る「バイオエシックス」像はある意味で正しいが、ある意味では誤っている(?)点である。現代的な「バイオエシックス」が所謂「メディカルエシックス」と同義に扱われ、そこではIC理論を中核とした「個」の理論が基盤として主張されたし、今なお力を持っていることは否定しがたい。しかしながら、当初「バイオエシックス」の語を想像したポッターは環境問題などを含めた種々の問題に対しての「人類生き残りの叡智」として「バイオエシックス」を唱えていた点を鑑みれば、必ずしも米本氏の言うところの「バイオポリティクス」の領域を「バイオエシックス」がカヴァーしていないことにはならないだろう。
 とはいえ、博学な米本氏のことであるから、上記のことは知っていながら、敢えてコントラストを際立たせる為に無視したのだろうが…初学者は混乱するかも。

by vla_marie | 2006-10-19 02:33 |
<< 稲葉振一郎『「資本」論』 News JAPAN、臓器移植... >>