News JAPAN、臓器移植法改正を提供側の立場から報道 その2 |
昨日のNews JAPANで『ラザロ徴候』の映像が流れました。 以前、NHKかどこかも流していたように記憶していますが、改めて見てみると衝撃的な映像ですね。 映像に登場していた医師が、「『ラザロ徴候』は頭を落とされたカマキリの手が動くようなもの〜」という趣旨の見解を仰っておられました。 現在の医学では、『ラザロ徴候』は「脊髄反射」とか「脊髄自動反射」だから、脳死であることに変わりはないという主張のようですが、これは「脳死=人の死」とする立場が医学的事実(fact)であることを前提とした発言でしょう。 しかし、事実(fact)が価値判断の前提としてあることは否定しませんが、事実から直接価値判断を引き出すことは出来ないのではないでしょうか?(事実≠価値判断) 特に、私の専攻している法学の領域ではこの問題はクリティカルに現れます。 法学とは、自然法則や社会法則を対象とするものではなく、当為の規則を対象とするものでであるからです(sein≠sollen)。 例えば、「売春は規制されるべきか?」、「臓器売買は規制されるべきか?」、「集団的自衛権を認めるべきか?」…etc.という問題(規範に関わる問題群)は、価値判断の問題であり、事実から直ちに導かれるものではないでしょう? もっとも、科学的研究が妄想や空論では済まされず、事実に基づかなければならないことは当然です。 しかしながら、医学的事実のみをもってして、「脳死」を法的な意味で「人の死」とすること、また社会的な意味で「人の死」とすることは少々乱暴であるように思われます。還元すれば、「何を人の死とするか」は事実のみによって決定することが出来ないということです。 翻って、「法的な人の死の定義が一元化されないこと」のみを理由に、「脳死を一律に人の死とする」という法学者の主張にも疑問がありますね…。 思うに、メスを入れることで血圧が上昇したり、『ラザロ徴候』が表れるような脳死者に対して臨むには、執刀医の方としても「脳死=人の死」として信じなければ(時には自己暗示にかけなければ)やりきれないものであるのかもしれないですね。 臓器売買や小児への臓器移植の問題を主軸に臓器移植法改正が叫ばれているご時世ですが、今一度、移植拡大への賛成論と反対論両者の積極的な議論が交わされることを望みます。 追記:BBCが2000年に報道したラザロ徴候に関する記事を発見(リンク)。 学術論文を読むのはちょっと…という方でも、これなら読めるのでは。。。 と、久しぶりにまじめな文章を書いた気が…(汗。 |
by vla_marie
| 2006-10-19 00:50
| なるほど
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