『長期脳死 娘、有里と生きた一年九ヶ月』+ほか |
週末は仲間の参加している弦楽合奏団の演奏会に行きました。 曲目はグリーグ「2つのノルウェーの旋律」とチャイコの弦セレ、あとヴィヴァルディ(略)。私は、この中ではチャイコ以外弾いたことが無いです。 岡本太郎曰く「芸術は爆発だ」だそうですが、カタに嵌らない攻めの姿勢が○でしたよ。皆さんお疲れさま。 さて、(選挙があるので)帰省中に読もうと思っていた本を読了(bk1)。長期脳死の娘をもった母親の手記を纏めたものです。 個人的にこの手の本はあまり買わないのですが、この著者は、昨年の臓器移植法改正の折に度々メディアに出ていたので、一応おさえておきました。 全体的に見れば、本書は、臓器移植云々以前に「脳死=死ではない」という"そもそも論"を言わんとするものでしょう(おわりに:p.133)。 この主張は、統計的裏付けがあるわけではなく、単なる1つの体験談に過ぎません。内容的には、親としての主観的な記述ばかりで、筆者自身も「親バカ」の語を使う程のものです。しかし、おそらく多くの親は(この筆者と同じく)、脳死段階で我が子を死んだとすることも、(改正法下で)小児ドナーとすることも積極的に選ばないでしょう。 本書に関しては、いくつか書評が出ていますが(朝日、臓器移植法を問い直す市民ネットワーク)、その多くは「臓器を貰う側(レシピエント)ではなくてあげる側(ドナー)になったときに、どう考えますか?」という文脈で紹介を行っています。 確かに、そうした問題もあるでしょう。 ただ、本月17日施行の改正臓器移植法自体によって、はじめて小児脳死が発生したりその数が増加したりするわけではないのです。 統計上は増えるかもしれませんが、実態としては変わらないでしょう。 つまり、改正法を理解した上で、あらかじめ親として臓器移植に反対という答えを用意していても、だからといって脳死の問題に向き合わなくて良いということにはならないでしょう。 なぜなら、長期脳死としての治療方針の決定(ないしは打ち切り)についての問題は、移植とは別にしてあるわけでして、実際に、本書のケースでも医療者側が積極的治療法(ホルモン補充)を家族の側に提案して、受け入れてもらうという運びがあったようです(p.125以下)。 そもそも、このような積極的治療を行うかどうかという決定・選択は、脳死に至らないまでもあちこちで見られるわけで、もっと広く、子に対する親の治療決定・選択の問題として本書を読むことも可能かと思います。 しかし、薄っぺらいのに結構いい値段するのですよね、この本。 |
by vla_marie
| 2010-07-12 23:34
| 本
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