移植法改正案、参院審議入り |
昨日は医療者向けの講演に参加。もっと簡潔にグラフィカルにやらないと駄目だなと思いました。色々と反省。 やっぱりビッグネームはスライドの作り方、話し方も上手いです。勉強になりました。 報告の方法もしかりですが、今回PowerPoint2008で資料作成したときに気づいたこと→Win版のPowerPoint2003で実行するときにフォントの置換が起きました。しかも、惨いギザギザのフォントに…。これは気をつけないと表示が崩れそうです。 臓器移植法改正案ですが、26日、衆議院を通過したA案と、現行法をベースに「子ども脳死臨調」の設置を付加した対案(E案)、ともに26日の参院本会議で趣旨説明が行なわれました(読売、朝日、毎日、産経)。参院厚生労働委員会での審議入りは、早くても30日になるとのことです。動画ニュースもどうぞ(FNN)。法案提出者は川田龍平。 A案に対してはこれまでにも賛否両論の意見が出されています。 移植学会がA案を強く支持しているのはこれまでにも何度も報道されていますが(18日の声明文:PDF)、ほかにも例えば、日本心臓外科学会は25日にA案賛成の声明を出しました(47時事)。 昨日はこのA案についても先生方と意見交換したのですが、A先生は「家族に子供の臓器の行方を決定する権利は無い、あくまでも本人の同意が必要だ」と強くご主張。 確かに、家族が遺体に対する所有権を持つことは、もともと昭和2年判決以降長年裁判所の認めるところでありますが、その際にも処分権が祭祀目的に限定されていると学説・判例は言っているわけです。ここでは、臓器の行方を決める処分権までもが、祭祀目的の処分権に含まれるとは考えにくいでしょう。ゆえに、改めて臓器提供についても遺族が死体に対して処分権を持っていることを肯定する必要がありそうです。この問題については、既に法哲学分野の論考で指摘があります。 では、そうした移植目的の処分権を、遺族が本人の意思とは独立して有し、行使できるとすべきか?そもそも1958年の角膜移植法以来1997年に成立した現行法に至るまでの長年の議論では、本人が同意していないのに勝手に遺族が臓器の摘出を決めることが一番問題視されてきたという経緯があります。だからこそ、本人の同意が必ず必要だとされたわけです。そういう経緯からすれば、本人の同意が無くとも、遺族が臓器移植目的で遺体の処分ができるとすることには、ますます慎重にならざるを得ません。 こうして考えていくと、今回のA案について、これまでの移植法の議論を踏まえたものと評価することは難しいでしょう。むしろ、「必要性」を錦の御旗に、長年積み重ねられた議論のスキームを意図的に逸脱しようとしているようにも見えます。 仮にA案を理論的に擁護するとすれば…1).臓器移植そのものが非常に高度かつ重要な公益性をもつものである、2).その公益性は本人の権利を制限するほどに重要である、3).ゆえに、故人の遺体を移植医療目的で(一種公共財のごとく)収益できると言えれば、なんとかA案を擁護できるのかもしれません。 ただ、犯罪捜査などに役立ち広く国民の生命や財産の保護に貢献することが期待できる検死などと違って、あくまで移植を受ける個人に寄与するに留まる臓器移植には、そこまでの重大な公益性が認められるのか?この疑問については、実は昭和30年代から議論がありますが、そこでも、移植は検死に比べれば公益性は低いことを認めざるを得ない状況でした。仮にA案支持者が臓器移植の公益性を説くにせよ、その主張を裏付けるデータ(移植が患者個人でなく社会全体の利益になる)は相当不足しているように思います。 ※注:私は臓器移植そのものに反対するわけではないです。 |
by vla_marie
| 2009-06-26 19:24
| なるほど
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